私の子育て「あと13日」15の君に伝えたいこと「突然死」編
失敗しない結婚相手の選び方をプロウェディングプランナーが仲人する結婚相談所「静岡恋活デートめぐ婚」代表・寺坂めぐみです。
次男の入寮日まで、あと13日。長男誕生から実質子育て(食事や送り迎えの世話等)22年間がもうすぐ終わろうとしている中、
バツ2でシングルマザー歴12年で3度目の結婚をしたあたしの「ラク(楽)して疲れない子育て」術を、このブログを見てくれている「バツイチ子持ちの婚活女子」のために、そして子供がいるシングルマザーを好きになって結婚を考えている男子の恋の後押しになりますように、
また「自営業をしながら子育てしているママ」に、自営業歴20年これまでのあたしの「自分がラク(楽)する生き方をしながらの仕事と子育ての両立談」を心理カウンセラーと鑑定士の観点から、息子の入寮日まであたしの氣持ちの整理のために書こうと思います。
【息子の心肺停止状態】キーマンに氣にかけてもらえたこと
もうすぐ中学を卒業し、高校生になる次男で優羽の誕生は、最初から「死」と向き合うことからスタートでした。15年前の出産中に、初産ではないのに、普通分娩で24時間たってもお腹から出てこなく、促進剤をうったら心肺停止に!!
すぐに帝王切開に変更しましたが、陣痛は3分おきにきていたので、それを待っての手術になり、そのため息子は5分間心臓が停止して生まれた!!
蘇生しても、心肺停止状態になると血液を通した酸素の供給が途絶えるため、臓器は障害を受けてしまうと。特に「脳」は障害を受けやすいです。と、麻酔が切れて息子と対面することもなく、説明が先でした。
あのときほど、あらゆる神様に願ったことは今までの人生でないね。。。どうか、蘇生して、この手で我が子を抱けますようにと。。。
無事にこの世に誕生したが、6歳の長男はアパートに一人だし、帝王切開だったけど無理言って4日間で退院。ほんと、あの頃は破茶滅茶だったね。
勝手に離婚し、実家の反対を無視し、勝手に再婚した私は、もちろん実家に頼れるわけがない。
【突然死】の可能性有りきの子育てがスタート
それなりにすくすくと育ったが、5歳までは脳と臓器の検査に通うことが義務付けられ、ADHD(多動症)検や、その中で幼稚園の時から小学校は普通学級に通っても良いのかとか、色々脳検査があり、毎回子供病院に通うのが憂鬱だった。
何故かというと、全くというほど元気だったから。ご飯もよく食べるし、身長も後ろから二番目で平均より大きかった。とにかく身体を動かすのが好きで、幼稚園の間はサッカークラブに没頭していて、運動会も幼稚園児とは思えないほどの足の速さで、未だに幼稚園のママ友と会うと話題になるくらいだ。
病院の検査は、「もしかしたら・・・」がテーマで、おどしかと思うほどに恐怖を植え付けてきた。この症状がでたら、なんとか症候群の可能性がありますとか。。。久しぶりに育児ノートをみたら、調べ物のコピーだらけだった。
今思うと笑えるがその時は必死だったんだ。だって【突然死】は在り得ますと言われ、運動は控えてくださいと。。。そんな事言われても、動いちゃうし、どうすればいいのよ~と。。。
キーマン=大事な人
わたしはママ友をたくさん作った。特に同じシンブルマザーのママ友だ。年齢は関係なく。
こんな私を氣にかけて助けてくれたママ友がたくさん居たことに感謝。毎日順番に手作りおかずを作って持ってきてくれたり、薬局行くけど買うものあるの?って玄関から聞こえたり、お兄ちゃんを一緒に釣りぼりに連れてくよ~って連れて行ってくれたり。。。
そう、キーマン=大事な人は、料理好きで、まめったく、人のお世話が好きなママ友との出会いだった!そして、今も連絡を取り合っている大切な友人たちだ。
そういえば次男は、「熱痙攣」おこして3回程意識不明で死にかけて入院しているが、子供(幼児)が入院したことがある人はわかると思うけど、完全に病棟に付きっきりで看病しなきゃなんだよね。夜も一緒に寝泊まり。
シンブルマザーで実家頼れない・・・
こういうとき、一番後悔する時ね(笑)
ここでのキーマン、わたしはママ友をたくさん作ったこと。特に同じシンブルマザーのママ友だ。年齢は関係なくね!
同窓会は行ってよかったと思えた事
そうそう、思い出した。田舎に住んでいるので同窓会は頻繁にあるのね。私は中学1年の1学期に転校したのだが、同級生とはずっと文通したおかげで、1学期しかいなかったけど、同窓会はいつも呼んでもらっていた。
そこで、シングルマザーだよって聞くと、今度子供も一緒に遊ぼうと、必ず約束し、会った。
そう、ママ(あたし)同士は同級生なんだけど、子供は年が違うんだよね。それと学校も違う。これがポイントでキーマン=大事な人。
だから、お兄ちゃん、お姉ちゃん、弟、妹、ができる訳!色々と学べる。しかも実家暮らしなら、あたしが幼い時に遊んでいて知ってるからね、抵抗なくかわいがってもらえるという訳だ。同じ境遇だから、仕事で遅くなれば、預かってもらった。本当に助かった。
賢いシングルマザーの先輩がキーマンだった
あの当時、多分、はたからみたら、元気いっぱいで、仕事もバリバリやっていて、彼氏もいたし、悩みなんてないでしょうって思われていたんだと思う。PTAの会長もやったりしたし、しっかりしてると思われていたんだと思う。
でも、夜になると、本当に突然死んでいたらどうしようと心配で、何度も起きて、優羽の口元に手をかざして、息をしているか確認したっけな。そして、よく泣いたね。不安でね。
でも、優羽が5歳の時頃かな。。。【突然死】について、氣にしなくなった。もしかしたら3.11地震の影響もあるかもだが、今、与えられている環境で、子育ても、仕事も、やればいいやって。
なんか、どっとつかれたんだよね。
子育ても、
仕事も、
全部自分でやるってことに。
シングルマザーにとっての仕事って、お家の経済をまわすって事だからね。
意地っ張りをやめたら突然死のことも受け入れられた
スポ少(スポーツ少年団)に入ったのも理由はこれだ。あたしの仕事は、この当時、フリーウェディングプランナーと、リムジンサービスを運営していたので、結婚式の本番施工は土日祝なため、一日中スポ少に行ける環境がとても助かった。しかも、たまたま二人共にスポーツが好きで、それなりにレギュラーをとったり活躍できる場があったため、ありがたかった。
この頃は、長男は野球少年団で、次男はサッカー少年団だったので、大会のお茶当番や、配車当番があり、ほとんどできなかった。意地悪なことを言われたり、無視されたり、わけわからない噂を流されたりもあったな。
でも結果、できないからごめんなさいと、しっかり事情を伝え、できることを分析し、行動に示した結果、先輩ママ達が助けてくれた。だから、続けれたし、子供も肩身狭くなく、楽しくできたと思う。意地を張らずに助けを求めたほうが、いいね!世の中良い人ばかりだ!
人に好かれたいなら、相手を大切に思う氣持ちを行動に示すこと。人生哲学のカーネギーも言っているが、人間の最大の関心事は常に「自分」であると。
このころから、「突然死」に子供と向き合い話し合い、楽しいこと、やりたいことを第一にすること。と、決めた。そうしたら、氣持ちがラクになった。決めたからかな。
中学にあがり、登校拒否をおこし、転校したいと言ってきた息子の話は次回にしよう。