【藤枝七福神霊場巡り③】盤脚院・布袋尊天へ良縁祈願
藤枝七福神霊場巡り3霊場目は、曹洞宗・ 宝樹山 『盤脚院』にお参りさせていただきました静岡恋活デート本店でございます。
< 宝樹山 盤脚院 > ほうじゅさん ばんきゃくいん
【藤枝七福神】:布袋尊天霊場
【ご真言】:おん まい たれいや そわか
<本堂詳細>
【開創】:寛永8年(1631)
【宗派】:曹洞宗 甲府市 恵運院末
【本尊】:聖観世音菩薩
【御真言】:おん あろりきゃ そわか
【所在地】:藤枝市西方16(藤枝霊園がここの場所です)
【電話】:054-638-0405
布袋尊天の縁起ご利益
千客万来、家運隆盛、家庭円満、商売繁盛の神様とされる事が多い【布袋尊天】
弥勒菩薩の化身といわれ、いつも笑顔を絶やさず人々に接していた人で、大きな袋には宝物がいっぱい入っていて、信仰の厚い人に与えられたという。笑門来福、夫婦円満、子宝の神として信仰が厚いと言われますし、庶民には福の神の一種として信仰を集め、室町時代後期に成立した七福神に組み入れられた。
真言三宝宗大本山清荒神清澄寺では三宝荒神の眷属とされる。肥満体の布袋は広い度量や円満な人格、また富貴繁栄をつかさどるものと考えられ、所持品である袋は「堪忍袋」とも見なされるようになった諸説あり。
ちなみに、日本全国に七福神霊場は200とも300ともあると言われています。七福神の発祥にはいろいろな説があり。
七福神は、福徳の神として、古くより信仰されている七神で、恵比寿神、大黒天、毘沙門天、弁財天、福禄寿・寿老人、布袋尊をいう。
七福神になったのは、仁王般若経の「七難即滅 七福即生」に基づくなどとの諸説があり、室町時代初期にうまれた。
盤脚院の由緒縁起
盤脚院は記録上では寛永8年(1631)開創という比較的新しい開創であるが、それ以前から存在していて、古伝では真言宗であったとも、また臨済宗であったとも言われている。文明17年(1485)には、既に曹洞宗寺院として記録に出てくるのでかなり古い時代から存在していたとか。
江戸時代に入ってこの宝輪寺の法系がたえ、無住となっていたため、甲府恵運院・五世寰室玄尊の法を継いだ【 国州天越 】が入山し、荒れていた日遣山盤脚寺を再興し【 宝樹山・盤脚院 】と改名。
名僧:国州天越は、徳川家康の囲碁相手でもあったという。家康は、将軍職を秀忠に譲り駿府城に隠居していた頃、田中城に来ては葉梨の里に鷹狩りにしばしば訪れ、その折、盤脚院に寄り、天越と碁を楽しんだ。後に家康に呼ばれた天越は駿府城の近くに【浄元寺を開創】して、盤脚院を2世の【日童雲昨】に譲り転往。
後に【三代将軍:徳川家光】は開山の天越と家康との親交を踏まえて、盤脚院へ朱印高十石の寺領を安堵したため、天越は中興開山となる。以来、盤脚院はこの志太地区でも珍しい通幻派と呼ばれる寺院となる。
曹洞宗とは
<本堂での基本お参り>
・南無釈迦牟尼仏(なむしゃかむにぶつ)
・南無高祖承陽大師道元禅師(なむこうそじょうようだいしどうげんぜんじ)
・南無太祖常済大師瑩山禅師(なむたいそじょうさいだいしけいざんぜんじ)
曹洞宗(そうとうしゅう)はお釈迦さまをご本尊とし、歴代の祖師が相承そうじょうしてこられた御仏みほとけの教えにしたがい、正しい信仰生活を送ることを宗旨としております。
両祖として仰ぐ道元禅師(どうげんぜんじ)と瑩山禅師(けいざんぜんじ)は【坐禅】を中心とした生活の全てが御仏の行いであり、その功徳を普あまねく人々に回めぐらせなさいとお示しくださいました。多くを求めてしまう生き方を見つめ直し、自己をつつしみ、ともに思いやり、分かち合う心豊かな社会の実現を、常に望んでおります。御仏みほとけの前に静かに坐り、ご先祖様に思いをよせて掌てを合わせ、身心しんじんを調ととのえて、 一仏両祖の教えを今こそ実践して参りましょう。
<参考資料>
・藤枝:有限会社 佐野石材所有:藤枝宿
・曹洞宗 曹洞禅ネット SOTOZEN-NET 公式ページ