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藤枝七福神巡り①良縁祈願はじめました。高野山真言宗:音羽山・清水寺から

藤枝七福神巡り 静岡恋活デート

静岡・藤枝界隈の良縁祈願と恋愛成就に効く!?神社仏閣巡りも行う静岡恋活デート本店。今回はわたくしども静岡恋活デート本店が住まう藤枝の七福神霊場をご会員の皆様へも良縁が恵まれますように「藤枝七福神巡り」もはじめました。本氣の祈願で、お経と真言をあげさせていただいき、巡礼しております。

【藤枝七福神巡り一覧はこちらをクリック】

【参拝・お参りは流儀をしっかりと】
神社仏閣をパワースポットと本来、表現したくない。そもそも神社もお寺も「神域」。ちゃんと背景や歴史、流儀を行う方には良い場所で、物見遊山やインスタ映えのみで行くならパワースポットでもなく単なる場所でしかなくなるので、どうせ参拝、お参りいくならば流儀は知れべて伺うことを推奨でございます。

【御朱印(経納帳)はスタンプラリーじゃないから勘違いなさらずに。】
戴くだけで参拝もせずに行う行為は、全く功徳もご利益もあるはずがないので要注意。神社なら正式参拝のおり、ご自身で祝詞奏上、お寺なら本尊に見合うお経をあげて、いただくのが御朱印帳・経納帳の流儀です。

そもそも七福神とは?

七福神とは
(上図:歌川国芳(1798–1861)の浮世絵の七福神 )

七福神(しちふくじん)とは、福をもたらすとして日本で信仰されている七柱の神である。七柱は一般的には、恵比寿、大黒天、福禄寿、毘沙門天、布袋、寿老人、弁才天とされており、それぞれがヒンズー教、仏教、道教、神道など様々な背景で、七難即滅(七つの災いを祓う)、七福即生(七つの幸福を招く)とし、

・【七難:病気・不幸・危険・災難・邪悪・短命・貧乏】を払い
・【七福:開運・財宝・寧らぎ・繁栄・厄除・長命・円満】 

のご利益を招く神様のことをいいます。

恵比寿

イザナミ・イザナギの間に生まれた子供「蛭子」(ヒルコ)もしくは大国主の息子である「事代主」(コトシロヌシ)などを祀ったもので古くは「大漁追福」の漁業の神である。時代と共に福の神として「商売繁盛」や「五穀豊穣」をもたらす神となった。唯一日本由来の神である。

大黒天

インドのヒンドゥー教のシヴァ神の化身マハーカーラ神。日本古来の大国主命の習合。大黒柱と現されるように食物・財福を司る神となった。

毘沙門天

元はインドのヒンドゥー教のクベーラ神。戦いの神であったが、仏教に取り入れられてから、福徳増進の神としてしだいに民衆に信仰される。日本では毘沙門天(ヴァイシュラヴァナ)と呼ばれる。

弁才天(弁財天)

七福神の中の紅一点で元はインドのヒンドゥー教の女神であるサラスヴァティー神。仏教に取り入れられ、音楽・弁才・財福・知恵の徳のある天女となり選ばれた。七福神の一柱としては「弁財天」と表記されることが多い。

福禄寿

道教の宋の道士天南星、または、道教の神で南極星の化身の南極老人。寿老人と同一神とされることもある。長寿と福禄をもたらす。

寿老人

道教の神で南極星の化身の南極老人。日本の七福神の一人としては白鬚明神とされることもある。

布袋

唐の末期の明州(現在の中国浙江省寧波市)に実在したといわれる仏教の禅僧。その太っておおらかな風貌が好まれ、手にした袋から財を出し与えてくれる。弥勒菩薩の化身ともいわれている。

引用・出典:https://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%B8%83%E7%A6%8F%E7%A5%9E

藤枝七福神霊場について

詳しい由緒は、各お寺参りをしながらご住職様にうかがうことにしまして、資料はこちら、

音羽山・清水寺(高野山真言宗)からスタート

藤枝七福神清水寺

藤枝の「高野山真言宗:音羽山・清水寺」は、

▶:聖武天皇の勅願により神亀3年(726)に、やはりこの方「行基さん」=「行基菩薩」がこの地に十二院の伽藍を創建。

▶:ご本尊の「十一面千手千眼観世音菩薩」を謹刻し安置したのが始まり。

▶:本尊の千手観音様は秘仏で拝顔は檀家であっても許されなく、霊験あらたかな観音様として毎年二月の第三日曜日をはさんで前後三日間縁日が開かれます。

▶:弘仁八年(817)に弘法大師こと空海の巡錫の途次寺を中興した。

▶:正暦2年(991)花山法皇は戒師仏眼上人を随えて東国巡幸の際、この寺が霊験ある寺と聞き召され勅願所とし、仏供料千石を賜った。

▶:その後、源頼朝が武運長久、天下太平を祈り、建久元年(1190)に祈願所としている。

▶:今川氏真は、清水寺門前で年二回自由に商売することができるよう楽市楽座の許可状も与え、清水寺を保護

▶:駿河攻略をねらう武田信玄は、永禄十二年(1569年)の駿河侵攻のおり、清水寺にも兵火に遭い、さしもの大伽藍も悉く焼失。この時、本尊と『縁生論』は難を逃れる。
(信玄さん寺と神社を焼き払い過ぎるから・・・。)

▶:しか~~し復活!現在の本堂は慶長年間(1596-1615)に再建。

▶:寛永年間に「徳川家」により修復されて現代に至っている。やはり最後は徳川家!寺紋が「葵」の理由がここに。

▶:駿河三十三観音霊場・第一番札所ですよ!

下記図をクリックしますと:高野山真言宗:音羽山・清水寺公式サイトへ

藤枝音羽山清水寺

藤枝の清水寺の山門つづく階段。登る過程から「氣」が高し!

空氣感の違いを肌に感じつつ、金剛力士像が睨みを利かす仁王門の山門へ。

山門扁額『音羽山』は「寛政の改革」を指揮した老中・松平定信の直筆!!

松平定信:江戸幕府第8代将軍・徳川吉宗の孫。天明の大飢饉における藩政の建て直し、徳川御三家の推挙を受けて、少年期の第11代将軍・徳川家斉のもとで老中首座・将軍輔佐。

藤枝清水寺

仁王門の山門には、手作りお願いわらじ守りの木彫り仏像がずらりと。

山門からさらに階段。ここも景観美!

階段を登りきると境内が広がります。威厳有り。

本堂への階段左に手水舎と

「縁結び地蔵菩薩」

こちらの地蔵菩薩様の功徳:色々なご縁にお力をかしてくださいます。

こちらでも御真言を。地蔵菩薩の真言:オン カカカ ビサンマエイ ソワカ

縁結び地蔵菩薩 清水寺

本堂への階段を。

ご本尊:秘仏の十一面千手観音が安置されます、観音堂へまずはしっかりとお参り。延命十句観音経を拝読。

藤枝清水寺本堂

観音堂から左回りにて隣接するのが

「病気封じ観世音菩薩」

功徳:病気平癒・諸難消除・他

次に、弘法大師のお堂・功徳:所願成就

弘法大師堂のおとなりに、

藤枝七福神の「大黒尊天」安置の大黒天堂

真言:おんまかぎゃらやそわか
戦闘神:先勝成就・全てに打ち勝つ
財福神:財福円満成就

ということで、しっかり御真言を唱えさせていただき、お参り。

藤枝七福神の大黒天の清水寺

大黒天堂から道なり、観音堂の裏手になりますが、

「西国三十三観音霊場石仏」がずらりと安置。こちらもただならぬ氣を放たられる仏像の安定感。

藤枝清水寺の西国三十三観音霊場石仏

西国三十三観音霊場石仏とは

▶:近畿2府4県と岐阜県に点在する33か所の観音信仰の霊場の総称。「三十三」とは、『妙法蓮華経観世音菩薩普門品第二十五』(観音経)に説かれる、観世音菩薩が衆生を救うとき33の姿に変化するという信仰に由来し、その功徳に与るために三十三の霊場を巡拝することを意味し[2]、西国三十三所の観音菩薩を巡礼参拝すると、現世で犯したあらゆる罪業が消滅し、極楽往生できるとされる。

▶:観音を念ずれば、七難(火・水・風・刀・鬼・獄・賊)を避けることができ、四苦(生、老、病、死)からも逃れ、三毒(貪・瞋・痴)を滅し、願う子宝にも恵まれるという、現世利益的功徳が強調され、8世紀には多くの観音像がつくられ観音信仰による。

更に詳しい詳細はWikipediaにて一読のほど

境内には他にも秘仏級の有り難い仏像安置のお堂、神社もあります。是非一度、お参りに伺うことおすすめいたします。

社事務所にて、藤枝七福神霊場巡りのご納経を戴きました。敢えての「手ぬぐい」版で霊場巡りをさせていただきます。色紙版もあります。お好みで。しっかり手ぬぐいとは別にご納経帳もいただきました。

藤枝七福神巡り 静岡恋活デート

次回は福禄寿(ふくろくじゅ)尊天霊場の「心岳寺」へ赴こうと思います。