藤枝七福神巡りラスト長楽寺へ静岡恋活デート

藤枝七福神霊場巡り⑦霊場目のラストは、臨済宗妙心寺派・ 龍青山・『長楽寺』にお参りさせていただきました静岡恋活デート本店でございます。

【藤枝七福神巡り一覧はこちらをクリック】

本堂の真向かいには【観音菩薩】が安置も高らかに安置されていますので、上記の写真は本堂お参りの後の観音菩薩お参り中のアイキャッチ画像からスタートさせていただきました(笑)。

<龍青山・長楽寺の七福神>

【藤枝七福神】:弁才尊天霊場(弁財天)
【ご真言】:おん そらそばていえい そわか
【ご利益】:家運増長・学術向上・勝負事

長楽寺・藤枝七福神巡りの静岡恋活デート

弁才天(弁財天)のご利益はその他にも沢山ございます。ヒンドゥー教の女神であるサラスヴァティーと言われています。サラスヴァティーは、もともとインドの聖なる川の名前です。そのことから、水に関する神さまとされています。川の恵みから豊穣の神さま、川の音から音楽や弁舌の神さまとして信仰されています。仏教に取り入れられて、経典には『弁才天』とされています。

長楽寺にはこの【弁天堂】がありますよ!そこに掛かる橋も「開運橋」。縁起良すぎます!

長楽寺弁天堂

龍青山・長楽寺(せいりゅうざん ちょうらくじ)の由緒縁起

【開創】:改宗開創 正中年間(1324~1325)
【宗派】:臨済宗 妙心寺派 

【本尊】:釋迦牟尼如来
【真言】:「南無釈迦釈迦牟尼仏(なむしゃかしゃかむにぶつ)」

【所在地】:藤枝市本町1-10-12
【お電話】:054-641-1861


(山門)
仁安年中(1166年~69年)粉川長楽斎の娘力姫(賀姫)が、真薦池の水龍に魅入られて水中に沈んだらことから、長楽斎が娘の冥福を祈るため屋敷を寺とし、薬師如来と阿弥陀如来を本尊とした。

その後、中国宋の臨済僧で、北条時頼に招かれて鎌倉建長寺を開いた蘭渓道隆が関東下向の際、蘭渓道隆を開山として、青龍山長楽寺と号した。青龍山という山号は、地主神の青龍から土地を譲り受けて開かれたことを伝えているとみられ、境内に聖徳太子信仰を物語る太子堂があることも注目される。

長楽寺仏天蓋 
(本堂の仏天蓋)

長楽寺は、建長7年(1255年)火災にあい、正中年間(1324~26年)に長楽斎4世の孫法栄斎が再建、中国杭州からの渡来僧で鎌倉建長寺・円覚寺の住持をつとめた霊山道隠の弟子、鎌倉五山の浄智寺の芝巖德香を招いて中興開山とした。

長楽寺
(大師堂)

文明5年(1473年)8月19日連歌師の正広は益頭荘を領する摂津之親に随って下向し、おそらく40日あまり長楽寺に滞在。鬼岩寺近くの鬼岩に苦しさをこらえてのぼり、東の高草山のかなたに雲もかからぬ富士山を眺め、年来の望みを果たして、

【 ふじのね八雲ゐに高し大ひえや はたちあけてもいかでおよばん 】
(富士は空高くそびえている 比叡山を二十ほど積み重ねてもおよばないほどだ)

と和歌を詠んだ。また、正広は、長楽寺の本尊を薬師如来とも記していると有り。


(薬師堂)

大永5年(1525年)12月、今川氏重臣掛川城主朝比奈泰煕の弟時茂の駿府館で鎌倉建長寺前住持の駿府来訪を機に開かれた連歌会に、今川氏輝や連歌会、天龍寺僧と共に長楽寺住持も参加しており、長楽寺と今川氏やその重臣とのつながりも有り。

中世は今川家の庇護から寺領を広げ、豊臣家政権下では450石を有していました。江戸時代には寺領が減少しますが、朝鮮通信使の宿泊所や田中藩(藩庁:田中城)の藩主土屋家の香花所などの格式を得ています。

藤枝長楽寺の座禅会
長楽寺は坐禅会を定期で行っております。最初に般若心経を全員で読経し、呼吸を整え、30分間の坐禅会。年齢・性別・宗旨・宗派は問いません。どなたでも参加できます。
(毎月:第三日曜日AM6:30~AM7:00まで)

<参考資料>
・青龍山・長楽寺公式サイト:https://kagekawa0824.wixsite.com/chorakuji
・藤枝:有限会社 佐野石材所有:藤枝宿
・他各リンク先に基づく。