良縁成就の鬼岩寺藤枝パワースポット

静岡恋活デート的、恋愛成就・良縁結びに効くパワースポット、神社・お寺をご紹介!今回は藤枝の名古刹。建立、神亀3年(726年)。現在までに1,300年以上の歴史を持つ、高野山真言宗「鬼岩寺」(正規:楞巌山 鬼岩寺(りょうごんざん きがんじ))。数々の伝説や由緒があるお寺だけに信心するだけご利益もあるかも。

要約すると・・・

・東大寺の「四聖」の一人「行基」氏のオリジナル観音菩薩が安置!
・それが33年に一回の御開帳の聖観音菩薩が本堂にある貴重さ!
・弘法大師こと【空海の鬼退治!裏山の岩穴へ封印!?】
・鎌倉幕府を開いた「源頼朝」も崇拝!
・武田軍の火攻めからも華麗に復活する【護摩堂と不動明王像!】
・田中城の本多も負けた!神犬クロの「死して尚、負けず」のご利益の【黒犬神社】


を境内に擁するお寺に行かずのはもったいない!

所在地: 〒426-0025 静岡県藤枝市藤枝3-16-14
電話: 054-641-2932

毎月28日の護摩焚き参加で所願成就!

良縁結び・恋愛成就成就は藤枝の鬼岩寺

毎月28日・10時から不動堂内で不動明王像様への護摩焚き参りに参加できます。これが本当に凄い。堂内の空気じゃなく「空氣」がピリピリと「ピシッと」なっております。

護摩焚きの参加作法の行法も「行法則」の経本があり、はじめての参加でもお経をしっかりあげられる用意のご配慮いただいている。お寺にお参りだけでもいいのだが、せっかくなら「ちゃんとした祈願作法でお参り」をお勧め。

仕事等で参加できない方へ

28日が土日ではない限り平日なら会社勤めで難しいという方も多いはず。その際も鬼岩寺は受け付けております。下記写真のにて確認ください。

良縁結び・恋愛成就なら鬼岩寺へお参り

武田の火攻めで消失するも60年後に不動明王が帰山し、徳川幕府より不動堂も復活する霊験・功徳ある不動堂をきっかけに真言宗を通した仏教にふれる・知ることをご推奨。

お線香とろうそくも奉納することができますからこちらもお賽銭箱に浄財を納めてお参りください。

「鬼かき石」と「行基菩薩腰掛石」

この左右の史跡。まずは左から。

左が弘法大師こと「空海」が巨岩に閉じ込めた鬼の爪あとの「鬼かき石」。7本ほど爪跡があり、爪跡を3回なでてお参りで所願とのこと。特に手芸事上達にご利益があり。

右が「行基菩薩腰掛石」。行基氏が神亀3年正月(726年)開山の日、この岩に腰を下ろし七堂伽藍の建立の考想を練ったという霊岩。岩に腰をかけ静かに考想する人は良い知恵を授かり発明を起こす事あり。

祖師堂と弘法大師像

像の前には腰掛けがあります。弘法大師像と対面の座にして、心の静寂に像と向き合ううちに自分自身に向き合うことが出来る、不思議なパワーを持つ地場と感じました。多少の瞑想にはいい場所です。(長居は無用でございますのでご注意くださいませ)

33年に一回がご開帳「聖観音菩薩】が安置される本堂

「神犬クロの「死して尚、負けず」のご利益「黒犬神社」

【黒犬物語】からなる「神犬クロの「死して尚、負けず」のご利益を賜われる

鬼岩寺境内の黒犬神社

鬼岩寺の特徴(伝説・由緒)簡単まとめ

1:東大寺の「四聖」の一人「行基」氏から始まるお寺!

※1-1:寛保2年(1741)31世照秀の記した『鬼岩寺縁起』によると、楊厳山鬼岩寺は神亀3年(726)行基菩薩によって開創。
※1-2:行基とはどんな人?:奈良時代の日本の僧。東大寺の「四聖」の一人。この時代に寺と僧侶を広く仏法を説き人々より篤く崇敬された方。詳しくはWikipediaにて。

2:33年に1度の開扉法要を待たねば拝顔できない!本堂有り。

行基さんが自らの手で【聖観世音菩薩を彫り】祀ったのが鬼岩寺の始まり!現在この観世音菩薩は秘仏であり、

3:弘法大師「空海」の登場!【空海の鬼退治・裏山の岩穴へ封印!】

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※3-1開創してから百年程過ぎた弘仁年間(810~823)に東国行脚の折、この地に寄る。その際に、弘法大師が訪れた村にて、人々はこれ幸いと大師に鬼退治をお願いした。そこで大師は五大尊の像を措き、7日間秘咒を加持すると、一天にわかにかき曇り、雷鳴とともに鬼が姿をあらわした。そこで大師はこの鬼を裏山の岩穴に封じこめると、荒れていた空はたちまち晴れわたり、翌日から鬼岩寺村に鬼は出なくなった。これを機に寺の名を「鬼岩寺」と称するようになり、真言宗に改宗され、村の名も鬼岩寺村と称するようになった。今でも寺の裏山には岩穴があり「鬼岩」とか「魔魅の岩」と呼んでいる。また鬼が鋭い爪を研いだと言われる傷あとの残った「鬼かき岩」(学者の説では玉を研いだ石であると言う)が境内に安置されている。
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4:わざわざ京から鳥羽天皇が!

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先帝の後白河法皇の追善供養のため、法皇所持の仏舎利二粒を宝塔に入れて鬼岩寺に奉納!
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5:「静照上人の大蛇退治」と武田信玄の火攻めに負けない「不動明王像と不動堂」の因縁

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※5-1:時は過ぎて、平安末期の長安年間(1163~1164)。鬼岩寺の南方2.5キロ程の村の大池に大蛇(竜)が住みついていた。この大蛇は池の近くを通る人々を次々に飲み込んでしまうので、村人たちは困りはてていた。鬼岩寺の住職であった静照(菱和元年寂281)は、池のまわりの丘に7ヶ所の護摩壇を築き、天台宗三井寺開山智証大師円珍(814~892の刻んだ不動明王を祀り、大蛇退散の不動護摩の修法を行った。さしもの大蛇もその法力によって教化され封じ込まれ、広大な池の水も干上って陸地となり、後には田畑として利用されるようになった。

※5-2:霊験あらたかなこの不動明王は、承安3年(1173)鬼岩寺境内に不動堂を築き安置した。人呼んで【池早不動】と称し、今でも多くの人々に篤く信仰されている。鬼岩寺の正面の不動堂に安置され、市の文化財に指定された本尊がこの【不動明王】である

※5-3:永禄13年(1570)甲斐の武田信玄は駿河に攻め込み、駿府城を手に入れ、1月26日には花沢城を攻め滅ぼし、月末には田中城(藤枝の田中城跡)を攻略。この時武田軍は飽波神社、清水寺、東光寺、遍照光寺等の名だたる神社仏閣を焼き払った。(こういうことやちゃうから歴史上、結局大敗の武田軍、子々孫々まで罰当たります)その中に鬼岩寺もあり、本尊の聖観世音菩薩を除いて貴重な寺宝や記録が残らず焼失。

その際、不動堂に祀られていた不動明王は行方知れずになっていた。八方捜したが見つからず、焼失してしまったのではないかと半ば諦めていたが・・・、六十年程たった寛永年間(1624~1643)23世住職堅照上人がある夜夢を見た。その夢の中に例の不動明王があらわれ、「吾、甲斐国甲府大泉禅寺にあり。汝等来たり迎えよ。」と告げたのである。

翌朝、堅照が夢のことを思い出していると、鬼岩寺の檀那大井神社神主の大桶六兵衛があわてた様子で寺をたずねて来た。六兵衛は昨夜見た夢のことを堅照に告げた。不思議なことに全く同じ夢であった。そこで住職と六兵衛の2人は旅仕度を整え甲斐の国、大泉寺に向けて出発した。旅を続け、富士川のほとりの茶店に寄ると、一人の旅の僧が休んでいる。

何の気なしに、この僧と話しはじめ、夢のお告げのことを語ると、旅の僧は大変驚いた。旅の僧が言うのには、実は私はその大泉寺の使いの僧であり、同じように不動明王の夢のお告げにより、駿河国鬼岩寺へお不動様をお返しにあがる途中であるという。鬼岩寺堅照も六兵衛も霊験あらたかなお不動様に感謝しながら、不動明王をこしに載せて帰山した。60年ぶりに不動堂の本尊が鬼岩寺に帰山。その因縁と不思議さに、改めて念の凄さを教えてくれる由緒。

鬼岩寺の復興は慶長7年(1602)徳川幕府から12石の朱印領を賜り、伽藍が再興されてからである。現在の不動堂はこの時建立されたものである。
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6:鎌倉幕府を開いた「源頼朝」も帰依し奉るほどの名僧!「静照上人」がいたよ。

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※6-1:大蛇退治の「静照」に帰依し*(*帰依とは:神仏や高僧などのすぐれた者を信じ、それによりすがること。)頼朝は純錦の自分の礼服をお袈裟に仕立て直して、静照に賜ったとのこと。
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7:足利義満・足利義教も宿泊していた!

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※7-1:嘉慶2年(1388)、足利幕府3代将軍義満は、富士山を見物のため下向した時、この鬼岩寺に宿泊した。さらに永享4年(1432)9月17日には、6代将軍足利義教も鬼岩寺に宿泊。この時のことは、『続太平記』『今川記』『富士御覧日記』等にも詳しく記され、将軍義教は鎌倉公方の足利持氏に将軍の権威を誇示するため「富士遊覧」と称して、大行列を仕立てて京都から駿河国へその行列数【六千騎】。
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8:宝篋印陀羅尼(ほうきょういん だらに)

▶:宝篋ほうきょうは、宝の箱または宝を入れる籠を意味する。
▶:印は、価値の高いことを意味します。宝篋印陀羅尼を納めた塔を、宝篋印塔と言います。
▶:功徳は【罪障消滅・寿命長養】の功徳があるされています。
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※8-1:【宝篋印陀羅尼とは?】お釈迦様が、信者の家へ行く途中で、光明を放つ朽ちた塔を見つけ、その塔の貴重さと功徳を説明しました。もし地獄に落ちても、その子孫が宝篋印陀羅尼を唱えれば、溶けた銅や鉄は一瞬にして極楽の池となり、地獄の門は破れ、悟りへの道が開ける、と言うような内容。鎌倉末期から室町時代にかけて流行した信仰習慣である。

※8-2:鬼岩寺にはこの塔が15基残っているが、その中で一きわ大きい塔に「矢部隼人 永徳2年(1382)」と刻まれた銘が残っている。矢部氏は岡部氏、朝比奈氏、松井氏等とともに、今川家に古くから仕えた武士であり、現在も葉梨下之郷に矢部屋敷の地名が残っている。
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いかがでしょうか、時代の流れとともに紆余曲折ありながらも現存する鬼岩寺。1千3百年の歴史を誇り、数多くの伝説を持ち、由緒ある仏様を祀り、貴重な寺宝を蔵し、真言密教の法灯を伝えてきた。

残念ながら大正四年に火災に遭い数多くの寺宝や貴重な書類を焼失したが、昭和54年には本堂を建立、55年に庫裡を再建した。鬼岩寺の寺宝として残っているものは

▶:聖観世音菩薩 鬼岩寺本尊 行基作  天和2年(1616)田中城々主土屋政直再興
▶:大聖不動明王不動堂(護摩堂)本尊 智証大師円珍作
▶:如意宝網珠 享保17年(1732)地中より発見
▶:鰐口 慶長16年(1611)若松惣右衛門作(藤枝市指定文化財)
▶:鬼かき岩 音この辺りに出没した鬼が爪を研いだ岩などがある。

と、なっておりますが、何よりも人々の想いもさることながら、先祖代々の「念い」があるからこそ、現在の皆様に「想い」が伝わる。だからからこそ、現在もお参りできるお寺として現存することと思います。

また境内には前項以外の霊験あるお堂が有り、その他にも霊木「夫婦槇」という触れていい「霊木」が護摩堂の横にあり、更には本尊:毘沙門天像を祀る「毘沙門堂(びしゃもんどう)」もあります。

最後に

このように様々なことが会っても尚、人々が足げに通われるお寺がパワースポットと言われる、そのパワーとは、この様に人々の日々のお参りの念いと、様々な難儀を乗り越え、時代を超えて現存しているが故にだと思われます。

そのような場所に訪れてご利益がない方は多数いるのも事実。なぜなら占い感覚で訪れ、敬い心を欠いては、あなたにとってはパワースポットにはならいので、お参りの際はご自身の立志をしっかりと心にお持ちになることが必定でございます。

悪いことも邪念の心も、人間誰しもが持つ心。全く無いです!というと嘘になるので、謙虚に赤裸々なご自身でお不動さまに前で「反省と弱さへの自認」(反省とは謝るという意味ではない。過去を顧みるという意味)と「未来への立志」をもってお参りをしてみることと存じます。境内を出る際には、少し違う氣を感じることが出来るはず。

皆様の恋愛成就・縁結びが成ることをお祈りいたしたく存じます。ご一読ありがとうございました。

御朱印(ご納経帳)奉拝

良縁成就鬼岩寺の御朱印

記事参照サイト:佐野石材店運用サイト:http://fujiedajuku.jp/